努力と天才の話
お久しぶりです。神です。
にすに託されたので天才と努力のお話をしたいと思います。
余談ですが最近趣味でやっているpixivのアカウントがフォロー数5に対しフォロワー数199とかいうよく分からない状況になっていました。
殴り書いた文字を明かしているだけのアカウントでそこまでいくとは思っていなかったので実に有難いです。
さて、では本題に入りましょうか。
単品メンバーで天才タイプと努力タイプに分けると
・天才タイプが私、ゆーきぶつ
・努力タイプが鳴上、食物繊維、はちみつです
(ゆーきぶつの独断と偏見)。
まぁ、私が天才タイプかはさておき、私も鳴上は努力タイプだと思いますね。
天才と努力は違っているようで似ている言葉だと思います。
天才は才能に溢れてると言いますし、努力も才能と言うので当然かもしれませんが。
いくら天才でも、数年と努力を怠れば凡庸と何ら変わらぬこととなるでしょう。
努力家は天才より費やす時間は必要かもしれませんが、努力次第では天才と肩を並べることだってできるかもしれません。
なんなら、元からできる天才よりも頑張ろうと思って1から学ぶことをしている努力家の方がより深く分野のことを知ることができるかも知れません。
私は努力と結果は必ず比例する訳では無いという考えの持ち主な上、幼少期から特に国語は勉強しなくてもできる人だったので努力は嫌いでした。
正しくは無駄な努力が、その努力に費やす無駄な時間が嫌いでしたね。
平方根や薬物の知識など、自分にとって将来使う予定のないものを学ぶなんて無駄だと思っています。
事実は小説より奇なりなので近いうちにこの考えは変わるかもしれませんが、現時点で私はそういった努力が嫌いな人です。
ゆーきぶつが私を天才だと言う所以はここかも知れませんね。
他人の思考なんてどうでもいいので知りませんが。
ただ、私は努力(する)という”行為”は嫌いですが、天才という”概念”は好きでした。
天才という”言葉”も、努力という”言葉”も嫌いでした。
まぁ、嫌いなんて感情はよく分からないので興味が無い、の方が正しいかもしれません。
私とて人間です(名前は神様ですが無神論者ですしおすし)。
楽したいので天才という概念は好きです。自分がそうかはさておき。
で、そういった言葉に興味が無い理由はですね。
天才や努力といった言葉で差別する以前に励めば結果を出せる、と思っているからです。
天才や努力でいちいち差別して自分は天才だから勉強しなくてもいいと有頂天になるよりも天才や努力といった言葉を気にせずに勉強に励んだ方が有意義だと思いませんか?
それに、かの人は天才だから自分は及ばないと諦めている人がいるのも事実です。
そういった言葉に傷つく人が、そういった言葉で諦める人がいるのならばそういった言葉やその概念ごと世界から消えるべきだと思います。
……少々、過激思想ですかね(笑)
何はともあれ私はそう言った思想の持ち主です。
こんな私をリーダーだと仰ぐ我らが単品は大丈夫なのでしょうか。
何はともあれ、神の天才と努力の話でした。
……これ全然為になってなくね?