知人を紹介するよ/May²

初めましてでしょうか!

May²です。メイメイと読みます。

どうやら僕は最年長らしいので知人の皆を紹介したいと思います。

 

TOC

トクくん。中学は私立に進んだ賢い子

論理派の神と並ぶ程の毒舌家

結構トクくんの毒舌さはグサッときます( ´ • ω • ` )

 

神様。

神。この子に関してはなんて呼べばいいの。

努力せずとも点が取れる所謂天才タイプかな?

個人的に単品の雑学王はこの子です。

 

…うーん、紹介が雑!

 

そう言えば四つめくらいの記事では神が皆がどういう主義を持っているかを語ったみたいなので、僕もそれに習って書きたいと思います。

 

知人のトクくんと神の二人と神経由で知り合ったNiSちゃんだけになりますけど……。

関わりない人はさすがに分からないの。

許してネ(>︿<。)

 

TOCは揺るぎない功利主義者。

常に効率を重視してる気難しい子だと思う。

ちなみに理系です。

 

NiSちゃんは現実主義者かな?

自分の中で解決策を考えて、それでも無理だったら他の人に頼れるタイプの子。

ちなみにNiSちゃんは一応は文系だけど、副教科の方が得意らしいね。

 

最後、神様。単品だと今のところ一番人気らしいね。

神は完璧主義合理主義秘密主義だよね。

あと、博愛主義で虚無主義

多いな〜って思うよね。僕も思うꉂ(ˊᗜˋ*)

でも沢山の思想を持ってるからこそ神はああいう記事をかけるんだろうなぁと僕は思うのです。

 

久しぶりの記事が僕でいいのか不安だけど、May²でした!

 

新メンバーの話

新メンバーだ〜〜〜。

ということで、神が書いてくださったキャラデザを使わないのは勿体ないということで二人の友人を引っ張ってきました。

ちなみに二人の活動名の命名には神も関わっています。

では私の方から簡単に説明させて頂きますね。

 

TOC

トク。性別は男性のはずですが横からの図は女性の方が描きやすいという神の事情によりイラストでは女性です。

当然の如く同い年ですが、中学は違います。中学受験勢ですね。

非常に冷静な頭脳派ですが毒舌家なので平気で毒を吐きます。

かなり胸にグサッてくるタイプの毒を吐いてくる人。

誕生日は7月4日ですね。もっと早く出てたら誕生日を記事で祝えたんですが。

 

May²

メイメイ。性別は紛うことなき女性です。

こちらは一つ上の先輩です。神やゆきさんの志望校に進学していらっしゃる方ですね。

大変明るい方で非常に客観的な理想主義者です。初対面でも普通に馴れ馴れしくできるタイプ。

そのせいで神からはかなり苦手意識を抱かれているらしいです。

誕生日は2月11日らしいですね。

 

以上の方々が次回から記事を更新してくださることがありますので、よろしくお願いしますね。

また、お二人はメンバーではなく協力者のような立場にあります。

ご理解の程よろしくお願いします。

神様。の人生の話

どうも、神様です。

話す事もないので、組織が正しく成り立つ前にとても大切なお話をしておこうと思います。

ちなみに今日でマイクラ歴が丁度四ヶ月になります。神様です。

 

 

私は極普通の一般家庭の生まれです。

極普通、と言うべきかは分かりません。

あなたの基準では普通では無いかもしれません。

少なくとも私にとっては私の家庭が極普通な家庭だったのです。

 

私の家は所謂ゴミ屋敷というもので、床の踏み場も無い家で小学校時代を過ごしていました。

物心がついた、と言うよりはっきりと記憶があるのは小学四年生からです。

その時には既に家には母と、三番目の兄と、四番目の兄と、姉と、私で住んでいました。

一番上の兄と二番目の兄はその頃には大阪市に居たのだと思います。

 

家は先程もゴミ屋敷と言いましたが、酷い有様でした。

足の踏み場もなくて、まともに勉強できる場所も何も無い。

お風呂場まで行くのにも一苦労でした。

主に我が家ではらんちゃんと呼ばれているアイツ(アイツです、黒いアイツ)を初めとして特に夏には色んな虫がいました。

 

そんな家庭で、尚且つ母は朝早くに出ていって夜遅くに帰ってくるものだったのです。

私は授業を受けなくても100点を取れるタイプの子供だったので学校に行くのが煩わしくなり不登校になりました。

学校に行っても宿題をやっていることの方が稀で、その事で一度クラスメイト全員の前で謝罪させられたこともあります。

自業自得でしかありませんが、その事がトラウマなんでしょうね。

未だに10人以上の前に立つと足が震えます(笑)

 

そんなこんなで私は小学五年生の頃から施設に行くこととなりました。

行くまでに母の知り合いに可愛がられることが多かった私はその方と銭湯に行き、その方が銭湯で暴れたおかげで警察のお世話になったりと色々ありますが。

それは割愛しておきます。

というかその方が銭湯の店長さんに「二度と来んな!」って言われた後に店長さんに「またきます」って言ったら優しい微笑みで「待ってるね」って言われた記憶しかない。

 

はい、施設に行くことになったんです。

当時は姉も義務教育を終えていない中学三年生でしたから姉と一緒にでした。

 

施設では色んな人がいました。

それこそハーフの子もいましたね。

 

当たり前ですがみんな得意なこともそれぞれ違っていました。

そんな色々な子が一つの部屋に収まる程度とはいえ沢山いるのに、全員が家庭に問題がある。

その事実から目を逸らしてはいけないと、少しだけ思ったのでした。

 

そんな思いをした一時保護施設から、正式な児童養護施設に移ったのは丁度姉は修学旅行に行く頃、私は臨海学校に行く頃でした。

 

そこでもまた色々な人がいました。

一時保護施設と比べ沢山の人がいました。

私は小学生の面々とすぐに仲良くなれました。

 

学校でも、せっかくなので臨海学校の実行委員を務めたり、児童会に加入したりと色々やらかしてました。

転校してすぐだったものですから、同級生からは転校早々児童会に加入した奴、と変な印象を持たれていた気もします。

 

施設で同年代や一つ年上、年下と喧嘩をすることが多くなりました。

 

施設内で一つ年下の同年齢の子に、最初は暴力で、次からは性的に虐められました。

恐らく性的に虐められた、の内容は皆さんが想像しているのとは違いますけどもね。

暴力で虐められた一回は窒息して控えめに言って死にそうになりました。

それから物を隠されたりとありましたが、あれは暴力ではありませんしどう言う虐めだと言えばいいんでしょうね。

 

学校でも同じクラスの子に虐められるようになりました。

施設とは違って陰口や無視だった分、嫌だなと思うことが多かったです。

でも、施設での虐めよりも傷つきました。言葉は刃ってこういうことです。

その虐めの主犯格に私が転校して最初に友達になった二人がいたからかもしれませんが。

 

それからまた色々ありつつも、小学六年生の二学期の頃にこちらに戻ってきました。

その頃には私の実の父は消えていて、代わりに母の彼氏を名乗る人物がいました。

母の彼氏の人(以下.Kさんと表します)と母は毎日のように喧嘩をしていました。

 

当然小学六年生だった私が大人の怒鳴り声に耐えれるはずもありませんでした。

私が純粋に弱かっただけかも知れませんけど。

私は、今でも大人の、特に男性の怒鳴り声が苦手です。

怒鳴り声でなくても、突発的な大きな音がとても苦手です。

はっきり言ってしまえば、怖いです。

 

中学校に入ってもKさんが家から消えることはありませんでした。

むしろ、六年生の最後辺りから同居状態となっていました。

徐々にストレスを感じた私は中学一年生の一月でしょうか。

夏休みだったかもしれません。

自傷行為に手を出しました。

 

見えにくいところを切ったり、敢えて友達に「知らないうちに傷出来てるんやけど」なんて言って見せたりして自分でつけた傷ではないようにみせていました。

結局、一月最後の宿泊系の行事でお風呂担当の先生にバレてしまったわけですが。

 

中学校では体調を崩すことが著しく多くなった他、目立ったことは無かったように感じます。

中学二年生の頃には、元から日光にあたるのが苦手だった、弱かった私は体育大会の練習に片手で数えられるほどしか参加できませんでした。

参加出来ても途中で見学するばかりでした。

また、普段の学校でも午前中で早退を沢山していました。

一週間毎日早退したこともあります。

 

Kさんが母に、私の父とのことに「不倫は楽しかったか」。私のことを「不倫で産んだ子やろ」。

そう言っているのを聞いて、今まで募っていたストレスもあり、耐えきれなくなった私は自粛期間中のとある日に自殺しました。

……未遂に終わりましたが。

 

中学三年生になり、前々から朝に体調の怠さを感じていた私は病院で起立性調節障害だと診断されました。

朝に体調が悪い私は午前中殆ど動けず、学校の午前授業に参加出来なかったりそもそも学校に行けない日々が続きました。

その結果、受験生というのにも関わらず授業に追い付けていません。

 

なので今、授業に追いつけるように五教科の貰える教科からはプリントを貰って頑張っている訳ですが。

 

こんな感じのが生まれてから、正確には小学四年生からの私の人生です。

 

短いといえば短い人生でしたが、私は性格が悪いなぁと思う出来事がいくつもありました。

 

その中でも一番思うのが、現在ドメスティック・バイオレンス(DV)を受けている母を見ているだけで助けもしないことです。

私が自傷行為を行っているのを知った先生が、「自分を傷つけるなら俺を殴れ」と言うのになんで他人なのにここまでできるんだろう、としか思えないことです。

 

実際、私は性格悪いんですよ。

 

最大多数の最大幸福を願っています。

でも、そんなことは不可能であることを知っています。

分かっていても願ってしまうことを愚かだとは言いませんが、それでも。

それでも、最大多数の最大幸福なんて夢のまた夢だと思うのです。

 

今日。人は死んで、悲しんで、苦しんで、人を殺して。

けれどそんな世界を人は今日も平和だと言うのです。

そんな世界が私は大嫌いでした。

大嫌いだ、と叫んでいても私がそんな世界で生きていることに変わりは無いのです。

私がそんな世界を、平和だと思っていることは事実なのです。

 

私は救いようがないくらいに性格が悪いのです。

『原爆』と『戦争』と『平和』の話

お久しぶりです、私です。神です。

さて、今回は特にやることが思いつかなかったので語彙力の限りを駆使して記事を書きたいと思います。

 

ということでその為に道徳でやりましたので『原爆』『戦争』『平和』を議題としてお話致します。

 

昨日、8月6日は丁度原爆が落とされて75年経った日でした。

”75年間は草木も生えぬ”と言われた75年目です。

と言っても今回するお話は75年目ということに起因する訳ではないのですが、一度耳に(目に?)挟んでいただきたかったのです。

昨日は忙しく、今日も朝から夕方まで多忙を極めているので今日が回って30分も経っていない頃から書き始めているので恐らく皆様がこの記事をご拝読なさる時にはもう75年目ではないんですけどね。

 

では早速議題に触れていきましょうか。

出来事を分岐として話しますと、私としてはとある分岐によってYES・NOが違ってもどちらにもメリット/デメリットは付き物だと思っています。

今回の結論もこうなってしまうのですが、これを予めご了承ください。

 

原子爆弾によって日本は壮絶な被害を受けました。

しかし、それと同時に終戦という最大の幸福も得ましたね。

当時の人間にとって終戦の知らせが幸福の最大化となったのかは不明ですが、少なくともそれが現代日本に幸福を齎しているのは事実です。

 

なので、広島・長崎への原爆投下は起きてよかったと思えることなのかもしれません。

原爆投下がなければ今も戦争を続けていた可能性を踏まえるとです。

しかし、それは私が被爆者ではない且つ知り合いに被爆者がいないから言えるのであって恐らく私が被爆者側の立場であればこんなことは言えないでしょう。

 

寧ろ、戦争を忌み、戦争が起きたこと自体を無ければよかったのにと思ってしまうでしょう。

 

ここで考えてみましょう。

そもそも戦争が起きなければどうなっていたのか。

 

あくまで私の予想ですが、戦争が起きなければそもそもその中で結ばれた協定なども起きておらず、反乱や一揆が起こることも少なかったでしょう。

となると、反乱や一揆を諌める為の法などを制定しなくていいわけです。

 

日本のみならず世界でも同様でしょう。

この場合、レーニン武装蜂起やらなんやらしてソ連設立まで行くのかは分かりませんが、多分行くでしょう。多分。

とにかくまぁ、そういった諌める為の法が制定されないということはその分法が緩くなるわけですね。

そうして世界的に法が緩くなり、犯罪率が上昇していったのではないでしょうか。

 

また、戦争が起きないということはそれの対義語たる平和という概念も生まれなかったのではないでしょうか。

 

戦争などで痛みを経験しない人間の中で、拷問や虐めなどはエスカレートして言ったのではないでしょうか。

 

そう考えると、一概に『戦争』なんてなかったら良かったのに、なんて思えませんね。

『原爆』が起きてよかったと言えないのも事実ですが。

 

結論的には、何が無くても有っても同様にメリットとデメリットが存在するわけです。

そんな感じですね。全然語彙力活用出来てないけど。

企画と神の話

NiSかもしれません。こんばんは。

単品は動画内で(神の気分で)縛りを加えたりしています。

神は結構鬼畜な縛りを出してきたりするんですよね。

 

将来的にどんな縛りをやって欲しいですか?なんてアンケートが取れるようになればいいなぁと思っています。

 

案の定話すことがないので企画の話でもしますか。

現在、我々は神立案で企画が二つあります。

一つが「イクラ攻防戦」、もう一つが「イクラデモクラシー」です。

デモクラシーに至っては神が大正デモクラシーが好きだから作っただけらしいですが。

 

神は企画力がグループ内ではかなりある方なので、そのうちもっとなにか大きなことをやらかしそうで大変楽しみですね。愉悦。

 

企画の話が終わってしまいました。Oh……。

 

さすがに短いと編集長(神)に叱られそうなので神の話をします。はい。

 

あの人は動画では敬語を使おうと心がけているんですよね。

現在は素でタメ口が多いですが、時が経てば敬語になれて自然に敬語を使うようになると思うんですよ。

その場合、古参の方や昔の動画を見た方が昔の方が素っぽくて良かったなぁなんて言う可能性が出てくると。

 

一度決めたことですしあの人が辞めるとはあまり考えにくいですが、見ている方的には神は敬語かタメ口どちらの方が良いのかなぁと。

私的には神のお声はどちらでも好きなので結構なんですけどね。

 

以上、NiSでした。

50日とniconico進出の話

はーい、私だよ、だよ。

今日、なんと我々単品のTwitterが始まってから50日とのことで。

おめでたいですね。

ちなみに明日の単品教室の更新はあるか分かりません。

 

撮影中に一番やらかす確率が高いのって実は私なんですよね。

動画内でも暴言吐きまくりだったりで問題にならないかヒヤヒヤしてる今日この頃ですけど。

 

撮影中に一番本名を言っちゃうのも私なのですよ。

問題発言が多いのも私ですね。

これでもリーダー……の、はずなんですけど。

 

組織の方向性的に作詞を得意とする私が問題発言が多いのは如何なものなんでしょうか。

 

久しぶりの記事となると書くことが無さすぎて裏話を書いてしまいました。てへぺろ

 

さて、真面目な話を致しましょうか。

我々は現在、このはてなブログYouTubeで活動を行っています。

 

いつかはniconicoに進出したいと考えています。

そのいつかがいつするか、という話をね。

 

チャンネル登録者が1,500人を突破した際、私は幹部の結成を行うと言いましたね。

niconicoへの進出はチャンネル登録者が10,000人を突破した際に行おうかと計画しています。

 

また、niconicoで有料会員限定〜とかができるようになればそれを利用し企画の裏話なども話そうかと考えています。

まだ遠い未来かもしれませんが、頑張るので応援してください〜。

 

余談ですが最近音楽発表会的なもので歌う曲を決めました。

私、NiS、なるちゃん(鳴上)、セルロースくん(食物繊維)のクラスはいきものがかりのYELLを歌うんですよね。

指揮者に立候補はしましたが、他にも立候補している方はいて何分学校にあまりいけてないので辞退しようか迷っています。

ちなみになるちゃんは伴奏をするのですよ。

大切な人がやりたいと言っていた伴奏を担当することが決定してとても嬉しいですし、私自身なるちゃんの演奏だと安心できるのでとても嬉しいですね。

嬉しい²くらいの気持ちで頑張ってます。

以上、神でした。

更新できていなかった件に関して

ことわざクラフトPart3投稿されますが、最近ブログを一切更新できていなかった件に関して話したいと思います。

NiSです。あと通話越しで神もいますけども。

 

NiSはシンプルに多忙だったんですよ。

我が家色々と厳しいのでテストで低い点を取ってしまいスマホが触れなかったのもありますけど。

 

神はまた別の理由で多忙でしてね。

作詞のお仕事&受験勉強。

あと体調不良で記事が書けなかったと。

 

これからはまた毎日投稿再開したいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。